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合唱の家 おおば


以下の文は「じゃむか通信」に寄稿したものを修正しました。合唱の家の生い立ちがわかるかと思います。

 合唱の家おおばは、昭和53年4月に日本で初めての合唱団体専門の宿泊施設としてスタートしました。
 「合掌の家」と間違えるお客様も多く宗教法人でもなく、まして合掌作りでもありません。
 この施設は平成7年に他界した、私の父が作りました。
 父大庭三郎は河口湖の隣町富士吉田で牛乳販売店の三男として生まれました。学生時代から音楽に興味を持ち、周囲の反対を押し切り、国立音大に進みます。昭和四年生まれでは「男が音大なんて」と言う時代だったらしいのです。でも本音は「簡単に入れたから」って言っていました。
 長男が病気で亡くなり、次男が戦争で亡くなり、家業を継ぐ必要があった父は、作曲専攻から教育専攻へ移り、あわてて卒業しました。そうすれば三年で卒業できたらしいのです。でもホントの事はわかりません。父の作品、私から見ても、もう少しかなぁって思います。
 卒業後、早朝は牛乳配達、その後高校の音楽教員をしていました。で、高校で合唱部を作り歌うんです、ロシア民謡。
 しっかり「赤」のレッテルを貼られ、校長と喧嘩、退職。牛乳販売店があるから、教員はどうでもよかったみたいです。
 早朝牛乳配達、午後から音楽教室、そして夜は合唱団活動という生活が始まります。
 娯楽の少ないその時代、大勢の団員が集まりました。また、合唱団も沢山作りました。現在日本をリードする合唱界の先生方と巡り会ったのもこの時期だったと思います。色々な先生方と新宿で、これからの合唱界の話を議論したと晩年懐かしそうに話していました。父の指揮したいくつかの団体が全国大会で金賞を取ります。田舎ですので地元でも盛り上がります。
 さて、人間は二つの事は同時にできません。そう、家業である牛乳販売店の経営不振です。まったくやる気がありませんでした。また、当時は合唱団を指導してもお金が入ってこなかったのです。それに「練習後のお楽しみ」にもかなりのお金を使ったようで...。
 その頃、合唱団の合宿場所探しが大変でした。まだ自治体の施設などなく、お寺を借りて合宿をしていました。
「ん、この牛乳販売店の土地を売って、合唱団専門の合宿所を作ろう。」趣味と実益を兼ねた素晴しいアイデアでした。実行され昭和53年4月に完成しました。
 しかし父は大切な事を忘れていました。自分が合唱指揮者だったという事です。こちらの地区では練習は平日ですが、週末は演奏会です。合宿所の営業も週末です。「えっ、一体誰が仕事をするの?人を雇うお金ないよ。」家族で喧嘩をしながら営業に入りました。
 長年「先生、先生」と言われ続けていたので、お客様に頭を下げるのが苦手。勿論、私の母も料理が下手、苦労の連続でした。
 本当に合唱が好きな方は、やはりこの仕事はお勧めできません。仕事になりません。父が好きな曲が、ホールから漏れてきます。すると、もうだめです。食器洗いもやめ、象の耳になり、ふらふらっと音に向います。
 人との出合いは楽しかったようです。こんな仕事をしなければ、一生会えない人に数多くお目にかかれました。この事は、お金では買えない、非常に重要な財産だと思っています。
 「おぉ、この方が有名な○○先生だ。写真と同じだ。」と当たり前の事を驚いた物です。また、昔の合唱仲間もいらっしゃいます。そうすると居間に呼び込み、昔の新宿時代、熱く合唱を語った話に花が咲きます。
 亡くなってしまった先生方にも沢山お目にかかりました。今でも宴会終了際には決まって「遥かな友に」が流れます。たぶん私は日本一この曲を聞いているのかも知れません。これを聞くといそべ先生の顔が思い出されます。
 コンクールも若手指揮者が登場。父は限界を感じ始めました。その頃から合唱団から謝礼が出るようになりました。すると「入賞しない指揮者は...」という現実に苦しんだようです。足が不自由になった晩年は椅子に座り指揮。ゆったりとした音楽を醸し出していました。「一生を棒に振る」が大好きな言葉でした。
 さて、経営。やはりお金には興味ないようでした。借金は膨らむばかり。「練習後のお楽しみ」は以前と同じ。典型的放慢経営という訳で私にバトンタッチ。
 メニューの見直しから色々な録音設備、照明等を導入しました。ホールの残響、これには流行があり大変です。合唱団のレベルが上がるにつれ、残響は問題になります。人数によっても変わってしまいますし。でも質の良い残響は歌いやすいし、いい演奏が生まれます。
 この仕事は食事と清掃が主ですが、お客様の病気、建物備品の修理なども重要な仕事。私は尚美の打楽器専攻、嫁は国立の幼児教育専攻で、以前は合唱とは縁もありませんでした。今は平日音楽教室、週末は合唱の家という生活をしています。
 料理、設備などいたらない点がありお客様には非常に御迷惑をおかけしています。建物の老朽化、合唱人口の低下及び高齢化、色々な問題があり、将来を苦慮しております。
 私は吹奏楽出身ですが、どこでも歌え、人を直接感動させる歌詞がある合唱、いいですね。合唱をする素敵な人と巡り合える事を楽しみに、仕事をしています。
 最後に日本男声合唱協会の益々の御発展をお祈り申し上げます。

 家の仕事を手伝った私の子供たち、長男は小金井在住で飲食業をしています。次男は西永福在住で大学生。週末は帰省し仕事を手伝っています。